2009/07/12

マイケル・ジャクソンの功績

先日、街を歩いていてマイケル・ジャクソンの追悼式の模様が、電気屋さんのテレビで放送されていました。たぶん 「We are the world」が流れていたと思いますが、ステージ上のスクリーンに、世界の宗教のシンボルマークが次々と映し出されていました。ほんの僅かな時間に見た映 像でしたが、様々な思いが頭を過ぎりました。

マイケルは生前、「僕はステージの上で育った」と言っています。裏返せばごくごく普通の環境では育っていない。今があるのはステージの上で育ったからだけれども、一人の人間として友人をつくり、共に様々の経験を持ちたかったと言っているような気がします。また「僕は、子ども時に兄弟と共に、路上で歌っていた。その時の投げ銭でキャンディーを買うのが楽しみだった」。「今を思えば、その時が一番楽しかったのかもしれない」と語っていたことを思い出しました。

彼は豊かな才能と努力で、プロモーションビデオでも見られるように、音楽を聴くものから見ても楽しめるモノに変えました。また「We are the world」で、世界にアフリカの現状を伝え、社会貢献の広がりを世界規模で促進しました。確かに彼の奇行は、社会的問題にされても致し方がないこともありましたが、彼が見つめた世界、彼が望んだ世界は何であったかを、そして彼が行動することで社会や世界の人々に音楽を通じて何をもたらしたかは、誰もが興味を持つところです。

生前時には天才と言われたマイケル、個人的に天才を知ることは凡人にはできないと考えています。例えば、彼は整形ということでも常に話題となっていました が、彼が望んだのはダイアナ・ロスの顔です。(子どもの第二の親権者として指名されたダイアナ・ロスは「静かに、自宅で過ごしたい」と、追悼式には出席し ませんでした)
彼が最も尊敬し、信頼していたと言われるダイアナ・ロス。彼は、彼女に少しでも近づきたいとの思いを達成する一つの手段として、形 をダイアナ・ロスに近づけることから始めたとの説もあります(父親の強い要請があったと一部報道では言われていますが)。もしそれが真実であるならば我々 には想像もつかない行動です。

彼が世を去り、普段あまりテレビを見ない私が感じたことは、メディアから流れる情報は、彼がこの世を去った直後は悲しみを伝える報道が見られましたが、その後、彼に関する報道は、彼のさまざまな奇行、遺産相続、子どもの親権などの報道が、その多くを占めています。


彼を世界最高のアーティストとして多くの人々が認めているのですから、アーティストとしての彼の功績や才能についての報道があってもいいような気がしますし、人々はそれを望んでいるのではないでしょうか。


USA for AFRICA「We Are The World(1985)」
ハリー・ベラフォンテの一本の電話からはじまったこのプロジェクト。彼は「バナナ・ボート(1956)」で、一躍スターとなり、黒人で始めてテレビプロデューサーとしてエミー賞を受賞したことで知られていますが、後年は社会活動家としても活発に活動しています。
そんな彼が、アフリカの飢餓の様子をテレビで見て、アーティスト達に声をかけ、始まったのがこのプロジェクトでした。

「We Are The World」は、あ らためて音楽の力を感じずにはいられない曲となりました。過去にも多くのアーティストが、音楽を通じてキャンペーンを行ってきましたが、「We Are The World」は、音楽が人種・宗教・文化そして政治の壁を越え、世界を動かした最初の曲ではないでしょうか。そういった意味で、大変意味深いプロジェクト でした。

全部で6本にまとめられている「日本テレビの24時間テレビ(1958)で放送されたダイジェ スト版」は貴重です。テレビでの再放送を期待したいですね。


USA for AFRICA「We Are The World(1985)」
USA for AFRICA「We Are The World(1985)」

投稿にあたり

投稿には15分以上時間をかけないことを課し、誤字脱字、文脈の揺れを気にせず書いています。テーマはエンターテイメントを中心とした雑記。