2011/03/04

自身の才能と歌謡界の狭間でもがいたシンガー

米国でレッスンを受け、そして認められた逆輸入シンガー朱里エイコ。当時24歳で歌った歌謡曲「北国行き(YOUTUBE)」が大ヒットし一躍有名になりました。しかし彼女が望んだ舞台は日本には少なく。日本の芸能界とシンガーとしての自身の狭間で思い悩みながら活動をしていました。そして精神的なダメージが深まり恵まれない中年期を過ごすこととなり、58歳という若さでこの世を去りました。

当時は、好きなことをやるまえに歌謡界でのヒットを求められました。また、欧米のエンターティメントを理解し、楽しむことがまだ一般的ではなかった時代に才能を持って生まれた故の悲運といえるのかもわかりません。

当時、音楽番組が多かったことで、歌謡曲を歌う彼女ではなくシンガーとしての彼女を見る機会を得たことでです。当時、子どもだったとはいえ一気にファンになりました(音楽的にはませた子どもでした)。そして75年に発売された「AH SO!」、翌年に発売された「愛のめざめ」は、彼女の才能を十分に訴えるだけのものでしたが、多分ヒットといえるほど売れなかったのではないでしょうか。とはいえ、彼女が素晴らしいシンガーであることは何ら変わりません。

YOUYUBEを見ながら、シンガーとしての彼女をライブで楽しむ機会に恵まれなかったことを残念に思います。先に紹介した曲がYOUTUBEにアップされているのを発見したときは、あまりの嬉しさに友人たちにURLを送ったぐらいです。ココに紹介するのは彼女の全てではなくほんの一部分です。

タワー・オブ・パワーが彼女を見初めレコーディングに至ったシングルです。なんと彼女が28歳のときです。素晴らしいです。

愛のめざめ/I'm Not A Little Girl Anymore(76年)
(B面:Buring My Bridges Behind Me→YOUTUBE

自身の作詞によるシングル「AH SO(75年)」

こちらもお勧めです
あの鐘をならそう(YOUTUBE)」
別れの朝(YOUTUBE)」

投稿にあたり

投稿には15分以上時間をかけないことを課し、誤字脱字、文脈の揺れを気にせず書いています。テーマはエンターテイメントを中心とした雑記。