2011/01/29

平清盛と神戸観光について考えてみた

来年のNHK大河ドラマが「平清盛」と決まり、神戸市は早々に官民で観光振興などの推進組織を設立すると発表した。市民、商業団体、観光業界ら約100人が参加した組織となるようで、イベントなどを通じて神戸を全国にPRしていくとのこと。

長らく神戸を離れていた神戸市民が、外から見てきた印象を含め思ったのは、「果たして上手くいくのかな?」。

大河ドラマファン、歴史ファンは多く、近年は歴女といわれる層も話題になっている。それらがターゲットとなるのだろうが、市民の多くは平清盛が活躍した平安後期に神戸に都があったことをほとんど知らない。

30年ほど前にNHKの連続テレビ小説「風見鶏」が話題となり多くの観光客が訪れ、その後、地方博の先がけとなったポートピア’81、またファッション雑誌などであらためて神戸ファッションが多く取上げられたりと、注目を集めつづけると共に多くの観光客を集めてきた。

神戸が自ら仕掛けたのは(外に向かって自ら打って出たのは)ポートピア81ぐらいで、集客の要因となったその殆どが神戸の歴史がつくった環境や文化。それが偶然注目されただけに過ぎない(後追いで施設や歴史資料の整備が行われたという印象がある)。

考えるに神戸はこれといった強力な観光コンテンツはなく、西洋風建物、ファッション、洋菓子、世界の食、ジャズ、美しい山と海などが一つとなって神戸という街の魅力をつくりだしている。

よって神戸観光には「美味しい」「きれい(風景)」「ロマチック」「お洒落」など、美味しいを除けば、環境が与える印象からの言葉が多い。しかし、それらの歴史に思い馳せるなどという観光客は殆どいない。それは神戸の歴史を十分に魅力あるコンテンツとしてつくりあげ、発信してこなかったからだ(もちろん西洋文化の流入地としての神戸について語っているパンフや資料がるのは知っている)。

現在、神戸に住まう人でさえ神戸の歴史についてはあまりご存知ないのが現実。

つまり神戸は歴史を売り物にしてきた観光都市ではなく、歴史がつくってきたその時、その時が観光資源として注目されてきた街。よって歴史をたどる的な観光振興は全く素人なのである。

明治に入り神戸が国際港として整備され、海外から大量の情報、技術、文化が流入し、入ってくる大量の情報などを全て受け入れていたのでは前に進めない。自身や街、国にとって有用と思われるモノだけを吸収してきた。ましてや日々、街が変わり発展していくのが実感としてあったのならなおさらだと思う。ある時期まで、神戸は未来に目を向けながら今に生きるという、常に現在進行形型で過去を振り返る時間が持てないほど猛スピードで街が発展して来たのだと思う。

だから「港町の人は、新しもの好きで、飽きっぽい」と言われるのではないだろうか。

時が経ち、その気質だけが残った今の神戸にとって、今回の事案は今まで取り組んだことのない歴史を深堀し、そこにロマンやノスタルジーといった感情を観光客に呼び起こさせる観光資源として提供することが求められるのだが、神戸にとって最も苦手なお題。

また、今まで多くの観光客が訪れたが、平清盛がわずかな期間都を神戸に置いたり、奈良・鎌倉と並んで三大大仏と言われる兵庫大仏があるとか、一の谷の源平合戦、太平記の湊川の戦いが神戸であったことを認識し神戸に訪れた観光客がどれだけいただろう。もっと言えばそれらを訪ねることを目的とした観光客がどれだけいただろうか。

このような現実があるなか、来年のNHK大河ドラマを機に、平清盛を神戸の新たな観光資源として整備し、観光資源として確立させ今後も観光のコンテンツとして育てるのか、一過性のものと割り切ってしまうのか、神戸市の判断と手腕が試される。

どちらせにせよ脈絡もなく、従来の観光振興に見られる、新学期から小学校や中学校で特別プログラムとして「神戸の歴史」なんていうのを始めたり、「平安時代祭り」が企画されたり、「マンガで読む平清盛」「平清盛アニメ」なんかをつくったり、まんじゅうや弁当なんかができたりと、集客には殆ど影響しないモノをつくり、それをPRすることが観光客誘致であるとの錯覚、つまりモノをつくるのが目的にならないようお願いしたい。あと意味なく、ゆるキャラをつくるのと・・・。

旅行会社は「大河ドラマ平清盛をめぐる 2泊3日神戸の旅 」、「平安のロマンと異国情緒あふれる神戸を体験する2泊3日の旅」なんていうパック旅行を販売し、それなりの集客はしてくれるだろうが、それに甘えることもないようにお願いしたい。

協力できることがあれば市民として100人の組織に市民枠で参加したいが、分かったようなわからんような現状分析するまでで、ここから観光振興計画を展開する知恵を持ち合わせないのが残念。

ま、観光資源として確立させるのか、一過性と割り切って稼ぐだけ稼ぐのか、難しいお題であることは確かだ。

2011/01/24

大阪・鶴橋商店街

20年振に鶴橋商店街に行って来ました。JRと近鉄の鶴橋駅下と、そこから続く高架下に広がる商店街です。通路は狭く、二人がすれ違うことができる幅しかありません。

韓国食材と洋服屋が多くあり、肉屋、魚屋、八百屋、チョゴリ、韓国民族楽器など、韓国の庶民生活が擬似体験できる楽しいい商店街です。店の殆どは間口が狭く、10坪に満たないお店が殆んどです。

韓国食材のお店では、その場で食べることのできるスペースもあり、美味しそうと思ったらその場で韓国の味を楽しめます。

食材を持ち帰る場合は、密閉性の高い容器を持って行くことをおすすめします。
活気ある商店街はそこに行くだけでワクワクします。幼い頃は日本のどこにでもあった、あたりまえの風景だったのですが…。

2011/01/22

アメリカの建物野外博物館か?

昨日、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)に行ってきました。

JRユニバーサル・シティー駅からUSJまでつづく商業施設City Walk、訪れるたびに店舗が変わっており、空き店舗もありました。開業当初から営業を続けているのはファーストフードぐらいではないのでしょうか。ハリウッドやオーランドにあるCity Walkとは随分と異なります。開業当初はクオリティーコントロールされている感はありましたが、現在はノーコントロールといった感じです。家主さんとしては店舗を埋めることが最重点事項となっているのでしょう。

USJは閑散期のため営業時間は10:00~17:00と短く、一部の飲食・物販店はクローズしていました。入場者は数千人といった感じだったでしょうか(写真を撮るのに人通過待ちなどせずに取れましたから)。

昨日訪問した限りはパーク内を歩いていて、ワクワク感を醸成させてくれるものは何もありませんでした。16時前後にパーク内を一周しました(天候は雲が多 く陽は西に傾き始めた頃)が、そこで気になったのは、全ての施設において看板や施設を縁取るように設置された照明やネオンが消されており、目を楽しまして くれるファサードのウィンドウ内の照明も点灯していませんでした。「アメリカの建物野外博物館」って感じです。

昼間とはいえ冬の曇り空の下、点灯していないクリスマスツリーを思い浮かべてください。何も感じないどころか、少しばかり寂しい気持ちになります。そんな空気が漂っていました。

以下の写真はアミティーエリアから西側を撮ったものですが、露出が空にあっているので施設自体は黒く写っていますが、施設照明がまったく点灯していないのがわかります。


テー マパークなどの施設では照明器具の点灯はコンピューター制御されており、例えば一戸建ての洋館があると、夕方になると、最初に台所が点灯し、玄関、リビン グ、家族の部屋と時間を追って順次点灯していきます。つまりそこに家族の生活があることを照明で表現しています。とはいえ、曇りでも薄曇りから曇天とある わけですから、従業員の目で見て臨機応変に対応いただきたいですね。

また、アトラクションや店舗の看板(サイン)は、その体を現すわけですし、デザイン時には照明もその要素としてデザインされているわけですからコンピューター制御に頼らず点灯するのがよいと思います。特に店舗などは集客を左右するのではないでしょうか。

と言いながらも今年は開業10周年、3月から一年を通して楽しめる計画が準備されているようです。今、年間パスが安く購入できますから、1日で全てを楽しむのではなく、さまざまな楽しみ方を一年を通して計画するのがよいのではないでしょうか。

細部まで計算されたUSJの環境演出を楽しむのであれば、日没後も営業を行なっている期間に夕方から訪れ、パーク内を散策、アトラクションを一つほど楽し み、レストランで夕食、なんていうのもいいでしょう。年間パスを購入し、N.Yにあるフィネガンスで会社帰りに一杯という方もおられると聞いたことがあり ます。

今年はユニバーサル・スタジオ・ジャパン開業10周年、神戸に帰ってきたことですし季節毎に伺うことにしましょう。

2011/01/19

ヘッドハンターズ

知人との再会を終えた帰り道、耳寂しくなったので大量のアルバムを入れたiPodで何かを聞こうと思い目に留まったのが「ハービー・ハンコック/ヘッドハンターズ(1973)」、しばらく聞いていないアルバムです。

初めて聞いたのは発売から4年後ぐらいだったと思います。当時ジャズとロックの融合から生まれたクロスオーバーやフュージョンといった新しいジャンルが人気を博していました。既にジャズピアニストとして地位を確立していたハンコックが、それ以前にジャズ+R&B+ファンクを融合したアルバムとして世に出したのがこのアルバムですが、賛否両論のあったアルバムです。特にジャズファンからは良い評価は得られませんでした(現在ではジャズファンからも高い評価を得ています)。

シンプルなバンド編成とアレンジ、収録されている楽曲全てでイントロが印象的で、次の展開を期待させるアレンジとなっています。そしてロックビートや16ビートにのって期待通りのアドリブをハンコックが聞かせてくれます。ハービー・メイソンのドラムもいいですね。

このアルバムが持つリズムのきれとスピード感、アルバム全体に漂う何ともいえない空気は、約40年前の作品とは思えなく、今聞いても素晴らしと思えるアルバムです。

Chameleon


Watermelon man


ハンコックは「ウォーターメロン・マン」が作られた背景をインタビューで語っています。彼の出身はシカゴで、「夏になるとリヤカーにスイカを積んだ行商人が、“スイカはいらんかね〜。甘い甘い、ジューシーなスイカ・・・。”と言いながら売っていたことが子ども心に強く残っており、その売り声のメロディーを楽曲にした」と述べています。

カジノを誘致したい方へ

カジノと言うのは止めましょう。分かりやすいけど。

今年に入りカジノ法案が今年中に国会を通過するかも・・・。ということで関連企業の株価が上昇したりと、ワサワサ、ゴソゴソといろんなところで動きがでてきました。

議員の方から首長さん、果てはメディアまで「カジノ!カジノ!」といいます。

誘致を望む自治体の多くは、単にカジノを設置することを希望しているわけではありませんし、政府も考えは同じです。カジノを含む総合エンターテイメント構想として打ち出しているはずです。政府もカジノだけの開設は承認しないと聞きます。つまりカジノだけを設置することはないということです。

そうなるとカジノと表現するのは適切ではなく「ゲーミング」というべきです。米国ではゲーミングをカジノも含めた総合的なエンターテイメントを提供するという意味で使っています。つまり総合エンターテイメント構想のなかの一つのコンテンツということです。

「カジノ」というより「ゲーミング」といったほうが、直情的に反対とはならず、社会感情のことを考えてもゲーミングと表現したほうが適切ではないでしょうか。
またゲーミングは日本に馴染みのない言葉ですから、「ゲーミングって?」と思ってもらえば「総合的なエンターテイメントを提供する中の一つとしてカジノも設ける」と、説明できますし、観光立国と結び付けて説明もできます(法案が通るまでは絶対に言わないと思うが)。随分と社会感情や興味も変わってくるのではないでしょうか。

カジノを誘致したい方、戦略的にも「ゲーミング」の方がよろしいかと。


追加:
HISさんの発表したカジノ船も、ゲーミングシップとかいった方がメディアから説明を求められる機会も増えると思いますし、それが記事になればHISさんにとっていいことだと思いますが・・・。もう遅いかな。

2011/01/07

郷里、神戸に帰る

東京での生活に別れを告げ、昨年のイブに郷里である神戸に帰ってきました。3回の東京生活で延べ12年。その間、福岡にも6年と社会へ出てからの多くは、神戸を離れて暮らしてきました。

新たに構えた自宅は、坂を下ると古くからある活気溢れる水道筋商店街。また、坂を上るとケーブルカーの駅があり、自然豊かな六甲の山へと運んでくれます。街を歩くと、通りによっては海も望めますし、まさに神戸を実感できる場所に自宅を構えることができました。

住まいは「摩耶」というエリアにあり、街から見える麻耶山にはお釈迦様のお母さん「仏母摩耶夫人」がまつられており、お釈迦様のお母さんに守られた街といえるのではないでしょうか。

神戸は西洋のみならず世界の技術や文化の入口として、それらを吸収し発信してきた街です。産業を生み、楽しむ文化を受け入れ国内に発信してきました。

神戸には日本初といわれるものが思いつくだけでも数多くあります。とはいえ戦前日本に入ってきた西洋文化やスポーツ、建築技術、航海術など、その多くが明治時代に国際港として同じく開港した横浜・長崎・函館・新潟も時を同じくして入ってきていたと思います。

神戸と横浜は産業が開花し、現代に至るまで発展を続け、人が集まり、大きな街となり、他の港より目立った存在になったゆえ西洋文化=神戸・横浜と言われるのではないでしょうか。

このようなものが神戸初といわれています(年代順不同)。
日本海軍、ブラジル移民、ジャス、パーマネント、コーヒー、駅弁、すき焼き、そばめし、豚まん、木の葉どんぶり、バームクーヘン、ティーバック、缶コーヒー、スライスチーズ、ラグビー、サッカー、ゴルフ、乗馬クラブ、テニス(?)、マラソン、近代登山、映画上映、カラオケ、水族館、ダム、西洋式庭園などや、クリスマスのオーナメントを飾ることやバレンタインデーに贈るものをチョコレートとしたことなどでしょうか。

これらは我々の生活に欠かせないモノ・コトとなりました。西洋をはじめ世界からの文化の流入は、新たな文化や産業を生み出し、全国へと発信され今に至っていることを考えると少しばかり自慢できるかもわかりませんね。

神戸の年配者は言います、「水害・空襲・震災」もう怖いものはないと、帰郷してあらためて感じるのは、阪神大水害、神戸大空襲、阪神淡路大震災と、大きな困難と悲しみを跳ね返し復興してきた神戸(阪神間)。そこには流入してきた世界のモノ・コトを模倣、吸収し、「神戸流(阪神間モダニズム)の心豊かに暮らす術」を手に入れた神戸っ子だからこそ大きな困難にも豊かな心で打ち勝ってきたのではないかと思います。

私は神戸っ子といっても、水害、空襲はもちろんのこと震災も経験していませんし、生田区で生まれ、東灘区、宝塚市、西宮市に居住したので、阪神間っ子と言うのが正しいのかもわかりません。

帰郷して最も思うのは地元民という感覚では神戸を捉えられなくなっている自身がいたことです。つまり観光客的な視点と、20代までの阪神間で暮らしていた想い出が同時に起きる「回想と発見」とでもいえばよいのでしょうか、街の変化の過程を見ていないので現実に見えるものに対しては、観光客的視点でしか見れず愛着が湧いてきません。とは言え、観光客気分で捕らえれば結構楽しく、暫くは観光客として神戸の街を楽しんで見ようかなと思いっています。

これからはエンターテイメントのみならず、日本人のライフスタイルを変えた「神戸のモノ・コト」について勉強しつつ、投稿もしていきたいと思います。落ち着いたら・・・。

投稿にあたり

投稿には15分以上時間をかけないことを課し、誤字脱字、文脈の揺れを気にせず書いています。テーマはエンターテイメントを中心とした雑記。