当時は、好きなことをやるまえに歌謡界でのヒットを求められました。また、欧米のエンターティメントを理解し、楽しむことがまだ一般的ではなかった時代に才能を持って生まれた故の悲運といえるのかもわかりません。
当時、音楽番組が多かったことで、歌謡曲を歌う彼女ではなくシンガーとしての彼女を見る機会を得たことでです。当時、子どもだったとはいえ一気にファンになりました(音楽的にはませた子どもでした)。そして75年に発売された「AH SO!」、翌年に発売された「愛のめざめ」は、彼女の才能を十分に訴えるだけのものでしたが、多分ヒットといえるほど売れなかったのではないでしょうか。とはいえ、彼女が素晴らしいシンガーであることは何ら変わりません。
YOUYUBEを見ながら、シンガーとしての彼女をライブで楽しむ機会に恵まれなかったことを残念に思います。先に紹介した曲がYOUTUBEにアップされているのを発見したときは、あまりの嬉しさに友人たちにURLを送ったぐらいです。ココに紹介するのは彼女の全てではなくほんの一部分です。
タワー・オブ・パワーが彼女を見初めレコーディングに至ったシングルです。なんと彼女が28歳のときです。素晴らしいです。
自身の作詞によるシングル「AH SO(75年)」