2010/03/03

貴重な資料:グレン・ミラー物語

1950年代のアメリカ映画のパンフレット20数冊拝見しました。お借りしてコピーしてしまいました。

最初に目に止まったのが、ジャズを聴くきっかけとなったという方が多い、グレン・ミラーの伝記「グレン・ミラー物語(1953)」です。パンフレットの表紙には、主人公を演じたジェームス・スチワート。その妻役を演じたジューン・アリスの仲むつましい写真が使われています。


パンフレットには「映画史上に不滅の金字塔を建てた此の名作!〜あの日あの時...亡き夫と過ごした日々の想い出が数々の名曲と共に今美しい妻の胸を感動にふくらませる!」と、意味不明と思えるキャッチコピーが書かれていました。広告も面白く「テレビは国産最優秀品 ホープテレビジョン 輸入テレビをしのぐ素晴らしいテレビ 近代生活のスタア! ホープテレビジョンを是非」という聞いたことのない、何ともかっこの悪いテレビの広告が掲載されていたりと、日本で公開された1954年当時を知ることができる資料としても貴重なものです。

ユニバーサル映画の当時の副社長は「この映画は、わが社の歴史に残る三つの作品の一つになろう。即ち、“ショーボート”、“西部戦線異常なし”と“グレン・ミラー物語”である」と述べたと書いてありました。確かに3つの作品は名作であることは誰もが認めるところです。

映画ファンの方なら良くご存知とは思いますが、グレンは常に「ニュー・サウンド」と言う言葉を発していました。そのサウンドは、試行錯誤とリードトランぺッターが練習中に唇を切ったことで、「キラー・ディラー・サウンド」と呼ばれるようになったニュー・サウンドが生まれました。その代表作であり、第一作が「ムーンライト・セレナーデ」です。

この曲は、サックスセクションのハーモニーのリードをクラリネットが行い、それに2本づつのアルトとテナーサックスで構成されたハーモニーです。ハーモニーを支える低音を担当するバリトンサックスがないところが、何とも魅惑的な世界を生みだしました。当時、スウィング・ビック・バンドは、ダンスの伴奏を行うのが主でしたが、グレンが生みだしたサウンドは、踊るための音楽から、聴く音楽へと変えました。

映画では、彼のヒット曲が多く演奏され、加えて、当時の人気ミュージシャンである、ルイ・アームストロング、ジーン・クルーパー、ベン・ポラックなどのそうそうたるジャズマンが出演しているのも魅力です。この映画を見るのでしたら、クリスマスの時期がお薦めです。

新しいサウンドが生まれ、聴く音楽へと変わる象徴的なシーンが以下ですので是非ご覧下さい。グレン・ミラーは、1904年3月アイオワ州で生まれた、いまいちパットしないトロンボーン・プレヤーでしたが、1937年にグレン・ミラー・オーケストラを結成し、苦労の末、絶大な人気を誇るバンドとなりました。


グレンの生まれ故郷にあるミュージアアム(建築中):The Glenn Miller Birthplace Museum
映画の中でグレンが通う質屋さんは、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンのニューヨーク・エリアに再現されています。

投稿にあたり

投稿には15分以上時間をかけないことを課し、誤字脱字、文脈の揺れを気にせず書いています。テーマはエンターテイメントを中心とした雑記。