過去オリンピックは、スポーツを通じて世界平和を願うオリンピック委員会と選手たちの意に反して、その歴史は時代を映し出す鏡となってきました。国力を誇示するためや政治の道具として使われた時期。冷戦期間中、自由主義陣営、共産社会主義陣営の相反する国での開催に対し、オリンピックへ不参加。91年冷戦の中心国の一つであったソ連が崩壊、米国が超大国として「民主化」「グローバリゼーション」を唱え、冷戦は終結しました。そして1988年ソウルオリンピック以降、不参加表明のする国はなくなったと記憶しています。
しかし、超大国に圧制されていた世界各地の民族が「民主化」を唱え、世界で民主化運動が沸き起こり、加えて民族同士の紛争も再燃することとなりました。また、グローバリゼーションに異を唱えるイスラム原理主義過激派は、2001年アメリカ同時テロを起こしました。記憶に新しいところでは、北京オリンピックの聖火リレーに対し、中国国内でくすぶっていたウィグル自治区の民族問題が表面化、それに賛同する人々などが、聖火リレーへの妨害を行うなどの事件があり、オリンピックは民族独立の訴求の場として利用されることとなりました。
2月8日の報道ステーションで、1984年ユーゴスラビア(現:ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエボ冬季オリンピック開催後に起こった民族紛争のその後についての現地取材が放映されていました。平和の祭典と言われるオリンピック開催後、1991年クロアチアの独立宣言を切っ掛けに内紛が起こり、第二次世界対戦以降、最も不幸な紛争と言われたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争に発展、1995年まで激しい内戦が続き多くの犠牲者を出すこととなりました。また、国連軍が人質に取られるなど、現地への対応についてNATO軍側での混乱もありましたが、平和交渉の席につかなかったセルビア人勢力に対し、最終的にNATO軍の激しい空爆により紛争終結となりました。その後、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦、スルプスカ共和国となり、外見的には連合国家として一つの国として建国されました。
番組では、悲惨な内紛の後を残すオリンピック施設や、墓地が足りずオリンピックスタジアムに隣接するサッカー場が、全て墓地となっている光景などが紹介されていました。オリンピック委員会の取材では、3つの民族から選ばれたの3人の委員が、民族や政治にとらわれない選手選考が実施されたこと。そして、委員・選手たちへのインタビューでは「スポーツを通して、それぞれの民族の相互理解と国の発展に寄与したい」。また「スポーツは、それらを実現するために大きな役割を果たす」と、力強く述べていたことが印象的でした。平和と悲劇を短期間に味わった彼らの言葉はまさに「オリンピクの根本原則」に則ったものでした。
3つの民族から選ばれたオリンピック委員と選手たちの自国の平和への思いは、バンクバーの平和の祭典への参加で、祖国の国民に十分に伝わったのではないでしょうか。
さ、12日からはパラリンピックです。日本選手を応援しましょう。