2009/04/12

スイカ売り、70歳の誕生日

ジャズピアニスト「ハービー・ハンコック(Herbie Hancock)」が、4月12日で70歳を迎えたと聞き、つくづく月日が流れるのは早いものだなと想いながらハンコックのことを紹介します。

彼は、若くして才能を開花させたジャズピアニストで、彼を一躍有名にしたのが、21歳で発表したデビュー・アルバム「Takin' Off (1962)」に収められた「ウォーターメロン・マン(Watermelon Man)」です。デクスター・ゴードン(ts)を迎えたことでも話題になったそうです。その後、マイルス・ディビス・クインテットに5年間参加し、若き才能あふれるピアニストとして高い人気と地位を得ました。

彼は「ウォーターメロン・マン」が作られた背景を取材で語っています。
彼の出身はシカゴで、「夏になるとリヤカーにスイカを積んだ行商人が、“(日本語的に言うと、たぶん)スイカはいらんかね〜。甘い甘い、ジューシーなスイカ・・・。”と言いながら売っていたことが子ども心に強く残っており、その売り声のメロディーを楽曲にした」



彼の印象に残る音楽活動は多くありますが、個人的に初めて聞いた彼のアルバム「Head Hanters (1972)」は、R&Bやファンクの要素が多分に加えられたアルバムで、編成、アレンジともシンプルで、彼のソロを十分に堪能できるアルバムに仕上がっており、収められている全てのが曲で、印象的な前奏となっています。

当時、青春を送っていた関西では、上田正樹とサウストゥサウスや大上留利子がメインボーカルを務めたスターキングデリシャス憂歌団など、ブルース、R&B、ソウル、ファンクなどが大人気の時代で、私も年齢を偽り、お兄さんやお姉さんが集うライブハウスに出かけたものでした。そ んな音楽環境のなかで聞いた「ヘッド・ハンターズ」は、非常にインパクトのある新たなジャズ・ファンクとして強く心に残っています。

その後、ジャズの名盤として有名な「処女航海 (Maiden Voyage)」を購入。アルバムタイトルとなっている「処女航海」はもちろんよいのですが、当時は「ドルフィン・ダンス」がお気に入りだったように記憶しています。1976年にマイルス・ディビス・グループ黄金期のメンバーを集めた「V.S.O.P」を結成し、世界ツアーを行い大成功を収めました。


このころ伯父から聞いた話で、印象に残っている出来事がありました。広島でコンサートを行った際に、ピアノソロ「For The City Of Peace(平和の街のために)」を広島市に寄贈したことです。

ハンコックと衝撃的な再開を果たしたのは、音楽映画「ラウンド・ミッドナイト (1986)」。彼の最初のアルバムに参加した、デクスター・ゴードンが主演を務めた、あるミュージシャンの一生を描いた映画です。この映画の音楽監督をしたのがハンコックです。
私は多くの映画見てきましたが、エンディングロールが終わっても立つことが出来なかった唯一の作品として強く記憶に残っています。特にジャズの演奏を楽しんでおられる方は理解頂けるでしょう。

昨年「River: The Joni Letters 」で、アカデミー賞の最優秀アルバム賞を受賞し、健在ぶりを見せてくれました。電子楽器を多用した時期には、多くのジャズファンから批判も受けましたが、今ではそれらも含め評価されています。これからも
左利きのピアニストとして、素晴らし音楽を生みだしていて頂きたいですね。

オフィシャルHP:http://www.herbiehancock.com/

投稿にあたり

投稿には15分以上時間をかけないことを課し、誤字脱字、文脈の揺れを気にせず書いています。テーマはエンターテイメントを中心とした雑記。