2010/11/13

感動を与えてくれた日本人ジャズドラマー

12日の日経新聞文化面に、「伴奏ドラマー、今こそ主役」というタイトルで、若かれし頃の憧れのジャズドラマー海老沢一博さんの記事が掲載されていました。

Latin Jazz Big Band Festival 2008より
12歳の時に横浜で行なわれた江利チエミさんのコンサートに1週間通いつめ、チエミさんから「そんなに私のこと好きなの」と言われ、ミュージシャンになろうと決意したそうです。

中学2年の時、横浜のナイトクラブ「ナイト・アンド・デイ」(作家ジェームス三木が歌手デビューしたクラブとして有名)の専属バンドであったピアニスト松岡直也氏(後に「松岡直也&Wesing」でブレイク)のバンドにバンドボーイとして入り、16歳の時にスマイリー小原氏(踊る指揮者として人気を博した)に見出され、スカイライナーズ(ザ・ヒット・パレードで伴奏をしていたビックバンド)のドラマーとしてプロデビュー。その後有名ビックバンドを渡り歩き、75年再びドラムを学び直そうと渡米されました。

私が始めて海老沢さんの演奏を聞いたのは帰国後間もない頃だと思います。TBSの音楽番組の収録現場に来られ、リハーサルの時にレギュラーを努めていたバンドのドラマーに代わって叩いたときでした。

美しいシンバルレガート、ステックとドラムがぶつかった瞬間の音は物理的な衝突音ではなく、優しく力強く、一打一打全てが語りかけてくる音でした。流れる ようなドラムソロからは美しいメロディーを感じました。日本人ジャズドラマーの中で最も感動を与えてくれたドラマーとして、今でもその感動は忘れません。

多くのミュージシャンから「えびちゃん」と親しまれており、一目置かれていました。笑顔がかわいい方で親しみやすそうな方だなと感じたのが第一印象でした。一方、音楽に対する信念と強い意志を持たれていた方で衝突も多かったようです。武勇談も含めあれやこれやの話は山とある方でもあります。

海老沢さんがビックバンドで活躍した時代、日本の歌謡界は60年代中頃から80年初頭の絶頂期に向け駆け上がっていた時代であり、ジャズもまた人気を博していた時代です。当時のテレビ局の看板番組は歌謡番組で、その多くは当時人気のあったジャズのビックバンドが伴奏をつとめていました。12月になれば、「特番 なつかしの歌謡曲」なんていう番組で、海老沢さんの演奏する姿が見られるかもわかりません。

海老沢さんも66歳、最近、自身のバンドで初めてのリーダーアルバムを発表されたようです。早速、Amazonで購入。

記事を読んで、ビックバンドを引っ張る海老沢さんのドラムをもう一度聴いてみたいと思ったのは私だけではないでしょう。
------------------------------------------------------------

【江利チエミ】50年代に美空ひばり、雪村いづみと共に"三人娘"として一世を風靡した江利チエミ。幼い頃より米軍キャンプ廻りをして歌うことに親しみ、51年に弱冠14歳でデビュー。パティ・ペイジのカヴァー「テネシー・ワルツ」が大ヒットを記録し、一夜にしてスターの座を射止める。その後もジャズ/ラテン/ロックンロールなど、さまざまなジャンルの洋楽を取り上げ、外国曲に馴染みの薄かった日本人に多大なるインパクトを与えた。本格的にジャズを学ぶために渡米したというエピソードからもわかるように、抜群のリズム感や表現力を誇り、クロッぽさという点では"三人娘"でも頭一つ抜きん出ていただろう。また、持ち前の明朗なキャラクターで映画やミュージカルでも大活躍。俳優・高倉健との結婚も話題を集めた。しかし晩年はアルコールに溺れ、必ずしも幸せではなかったようだ。82年に他界。(goo音楽より)

投稿にあたり

投稿には15分以上時間をかけないことを課し、誤字脱字、文脈の揺れを気にせず書いています。テーマはエンターテイメントを中心とした雑記。