政府は観光庁を創設し、観光立国を宣言。今秋にはカジノ法案の成立も見込まれています。そんななか、観光に関する研究会などの会合が開かれていますが、これはビジネス機会をうかがう人々の集まりでしかないのではないでしょうか。決して悪いことではありませんが、観光立国を成立させるためには、悲惨な過去を持つ多くのテーマパーク事業について検証することで、地域を含めた観光事業のありかたについて学ぶことができると思います。
以下の3社は第三セクター、1社はテーマパーク運営のノウハウを持たないゴルフ場経営会社でした。これらの事業は、その事業者が考えるほどの成功は収められないと、開業前、いや計画段階から思っていた人は少なくないでしょう。名だたる調査会社や金融機関が関わりながらです。
経営困難・破綻の理由は「入場者が思うように伸びなかった」が、決まり文句ですが、この4つのテーマパークのみならず、90年代に開業した国内のテーマパーク や娯楽施設などの多くは、事業計画(予測)自体に問題があったこと、開業後のテーマパークや施設運営に関する経営陣の知識・経験の低さ、怠慢が原因である ことは明らかで、一般企業が、「つくった製品が売れなかったので会社が潰れます」だけで、従業員や取引先、株主、社会が許すでしょうか。 お決まりの破綻理由は、何の説明にもなっていません。
再生の道を得られた施設。今後新たに計画されている施設。過去の過ちを十分に検証し、時代と共に変化する人の気持ちを汲み取りながら、「楽しい空間(場所)」を恒 久的に提供することについて十分に考えていただき、全てにおいて愛されるテーマパークや施設になるよう努めていただきたいですね。
ということで、4つの報道を見て頭に浮かんだことでした。
以下は、その報道とテーマパークの顛末です。
再々起:長崎「ハウステンボス(第三セクター)」は、2003年会社更生法を申請し、野村プリンシパル・ファイナンスの更生計画が認められ営業は継続されていましたが、ここ数年の来場者低迷が響き存続の危機に立っていました。今年4月HISが支援に入り、今春より新体制により営業されています。
「ハウステンボス」は、素晴らしいテーマパークというより、素晴らしい施設として、分かる人だけが分かる施設です。ある意味、早すぎたうえの失敗といえるでしょう。「自然との共生」を第一に掲げ、例えば、高度な水処理施設を所有し、処理水を直接排水せず、パーク内の花壇や木々などに散水し、土壌を通して自然に帰すなど、目に見えない部分に多く資本が投入されています。また各施設も拘ったものとなっており、テーマパークではなく、本物の街を出現させたと言っても過言ではないつくりとなっています。
将来を見すえた経営者の「夢」を実現した、素晴らしいテーマパークです。しかし、入場者があってのテーマパーク。ハウステンボスが社会に伝えたかったこと、それは将来、皆が望む街の姿であることだったと思います。通常のテーマパークでは考えられない施設や設備への大きな投資、ハウステンボスが社会に伝えたかったことの認知・理解が進まなかったことなどが、今に至っていると思います。再々出発をしたハウステンボスは、計画段階から掲げるハウステンボスのコンセプトとその意義についてもっと知らせるべきでしょう。そうすれば、集客の施策もいろいろと広がるのではないでしょうか。
「レオマワールド」は、ゴルフ場の開発と経営を手がけていた日本ゴルフ振興㈱が、計画したテーマパークでしたが、テーマパークの経営には全くの素人。まさに「バブルの徒花」でした。再々出発を引き受けた東京温泉物語㈱の計画によると、大衆演劇やミュージカルなどの常時複数公演を実施するなど「四国のブロードウェー」を目指したいとのこと。もちろん家族で楽しめる温泉も用意されるでしょう。気軽に楽しめる魅力あるパークとなって頂きたいですね。
消滅:岡山「倉敷チボリ公園(第三セクター/閉園:2008年12月)」は、「イトーヨーカ堂倉敷ショッピングセンター(仮称)」と「三井アウトレットパーク」が年内に開業を予定しています。
「倉敷チボリ公園」は、当初岡山市の市政100年の記念事業としてJR跡地に計画されましたが、事業会社のずさんな経営が発覚。白紙撤回となりました。しかし、当時の県知事がクラボウの工場跡地を借り受けることで、新たな計画として建設を推し進めましたが、事業の中核であった阪急が撤退。結果、岡山県の単独事業として開業を迎えましたが、開業前にこれだけガタついた事業を強引に進めた当時の県知事にはどのような理由と勝算があったのでしょう。知事に聞いてみたいものです。
消滅:福岡「大牟田ネイブルランド(第三セクター/閉園:1998年12月)」は、「イオンモール大牟田」と決まっていましたが、諸所の事情で営業開始が遅れていましたが、2011年春に開業と決まりました。
「大牟田ネイブルランド」は、バブル崩壊後、日に日に経済が冷え込んでいく中、それを懸念してプロジェクトを仕掛けた大手広告代理店が手を引いたり、役員がごっそり変わったりと、建設に入る前に迷走状態に陥っていました。また、資金の調達が難しかったのか、計画の半分の施設での開業を強引に推し進めました。何故、事業延期や中止にしなかったのでしょう。
ともあれ、過去の観光事業失敗の反省のないままに観光立国を目指して突き進むのは、不安でなりません。