最初にお伝えしておきます。面白くない投稿と思います。
キャンディーズの1975年に発売された「ハートのエースが出てこない(レコード)」を高級コンポーネントステレオ(コンポ)で聴く機会を得た。音の伸びや音楽としての感動などは一切なかった。つまり音を楽しむという音ではなかったということ。これは一般的なオーディオなどの再生機では感じられないと思う。自宅に帰りYOUTUBEでアップされているものをイヤホンで聞いたが、高級オーディオで聴いたものとは全く違って、聴きなれた親しみやすいキャンディーズがそこにはいた。
レコーディングされた音は、ミキシングの際に「定位」を意識して行われる。それは再生する際ステレオであることを前提に行われるがそれは存在しなかった。もちろんキャンディーズの声は前、演奏は後ろにはなっていたが、豊かな音の広がりや深さ、音一つ一つを楽しめるものではなかった。
表現するとしたら、一つ一つの音が重なり合って一つの音楽が創られたというのではなく、スコアー(総譜)を縦にスライスした音の集まり単位が、連続して聴こえてくる感じであった。全体としては高級コンポの再生可能な範囲を大きな円とすると、その中心部分のみにしか音がなく、多くが空白に感じられた(モノラル的な聴こえ方)。
これらは現在のようなミニコンポはなく、それなりに良い音を再生するオーディオ機器が一般的ではなかった時代、多くの若者はダイナミックレンジの狭いモノラルのラジオやラジカセ、レコードプレーヤー、それに毛が生えたような再生機で聞くことに配慮したミキシングとなっているのではと思う。
また編曲、演奏、録音、ミキシングに、商業音楽に徹したアイドルのレコードならではと思える計算も見て取れた。そこには歌詞とメロディーをしっかり伝える技術があった。極端に言えば歌以外は感情(抑揚)というものを排除している。とはいえ聴き手の感情を高めるために、フレーズ間に入れられた演奏による合いの手は、聴き手の感情を高揚させる絶妙なアレンジとなっている。
それらは計算されたアレンジ技術のみならず、抑揚を抑えた(排除した)機械的で正確な演奏をしているミュージシャンも見事。そして楽器一つ一つに対する細やかな録音技術が何故かこれらを一層引き立たせるという意外な結果にも感心させられた。そして消費者の音楽を楽しむ環境を念頭に置いたミキシングもしかりだが、キャンディーズの声を少し力強く感じさせるように芯のある音にしていたのもポイントかもしれない。
他にも、キャンディーズ解散以降5年間ぐらいの間にヒットしたアイドルのレコードを聞いたが、ほぼ同じような思いを持った。これは何ともいえないが、バックコーラスが入ったものがなかったのも歌詞とメロディーをしっかり伝える技術の一つかもしれない。
高級コンポでアイドルの歌謡曲を聴くこととなったが、日本の商業音楽をつくる技術は聴き手の再生環境にまで配慮したもので、日本人の職人的技術と真面目さをあらためて感じた。
最後に、ジャズを聴くために組まれた高級コンポで「ハートのエースが出てこない(レコード)」を聴いた際に、個人的に感じたことを勝手な視点と考えで書いたこと、十分ではなかたであろう説明であったことをお許しいただければと思う。