とは言うものの日々聞くのはCD、レコードはレコードラックを埋めるものだけになっていました。置いておけばCDに変わる訳もなく、思い切って処分することにしました。とは言え残したレコードには想い出深いものや希少価値の高いと思われモノばかり、処分するとなると躊躇してしまいます。しかし決断しました23枚を残して。
その中でキワモノと言ってよい「ライブ・イン・ハトヤ(1978年)」を紹介します。
レコード会社との契約の関係で、タモリ氏の写真が使えず「?」となっており、「by courtesy of TOSHIBA/EMI」 となっているところも面白いところでしょうか。
Amazonアルバム紹介からの引用
「赤塚不二夫/赤瀬川原平/奥成達/高信太郎/長谷邦夫/タモリ/山下洋輔/坂田明/小山彰太/林美雄!! 「まんがNo.1」に続く世紀の大復刻!
70年代後半、アホらしいことを大マジでやらないとダメだ、と集まった赤塚不二夫、赤瀬川原平、奥成達、高信太郎、長谷邦夫による満足問題研究会による今や伝説の名盤となった『ライブ・イン・ハトヤ』が奇跡の初CD化です。
プロデューサーは高平哲郎、作曲は小林亜星。メンバー全員が作詞して、赤塚不二夫自らが歌いました。伊東ハトヤのステージでライブ・コンサートをやったらどうなるかという設定で作った、前世紀最大のギャグ・パッケージ・アルバム。」
このアルバムを入手したいきさつは、当時、各TV局の音楽番組で仕事をしており、芸能人のマネージャーさんたちとお付き合いさせて頂いていた関係から、当時のタモリ氏のマネージャーにお願いし2枚譲っていただきました。
タモリ氏の逸話?実話?は数知れません。赤塚不二夫氏や山下洋輔トリオ、中村誠一氏(Tsax)などの係わりのなかで生まれたものを多く聞きました。
タモリ氏は、早稲田大学のジャズ研に所属し、卒業後実家のある福岡に戻り、その後大分県でボーリング場の支配人をしていたと聞きます。支配人時代には東京のジャズマンたちの間で、九州に「面白いやつがいる」と噂になっていたそうです。ある時、山下洋輔トリオが演奏のため福岡を訪れた時、せむし男が博多駅に迎えにきたそうです。そしてその日は、そのせむし男が山下洋輔トリオに付き添ったそうです。それがタモリ氏だったという話を聞きました。
その後、赤塚不二夫氏が上京を勧め、赤塚氏宅に月20万円をもらって居候していたそうです。その後は皆さんご存知の通りです。タモリ氏がTVに出始めた頃、新宿のジャズバーのカウンターで、カメレオンをやっていたタモリ氏に遭遇したことがありました。
「ライブ・イン・ハトヤ」のジャケットを見ていると想い出が次々と蘇ります。また、このアルバムが発売された当時、日本のジャスに元気があった時代でもあり、東京ユニオン、ニューハード、シャープ&フラッツ、ブルーコーツ、スカイライナーズ、東京キュウバンボーイズなどなど、ビックバンドが輝いていた時代でもありました。
「ライブ・イン・ハトヤ」を20数年ぶりにあらためて聞くと、まったくもってバカバカしいアルバム(愛情こめて)でした。