彼は、若くして才能を開花させたジャズピアニストで、彼を一躍有名にしたのが、21歳で発表したデビュー・アルバム「Takin' Off
彼は「ウォーターメロン・マン」が作られた背景を取材で語っています。
彼の出身はシカゴで、「夏になるとリヤカーにスイカを積んだ行商人が、“(日本語的に言うと、たぶん)スイカはいらんかね〜。甘い甘い、ジューシーなスイカ・・・。”と言いながら売っていたことが子ども心に強く残っており、その売り声のメロディーを楽曲にした」
彼の印象に残る音楽活動は多くありますが、個人的に初めて聞いた彼のアルバム「Head Hanters
当時、青春を送っていた関西では、上田正樹とサウストゥサウスや大上留利子がメインボーカルを務めたスターキングデリシャス、憂歌団など、ブルース、R&B、ソウル、ファンクなどが大人気の時代で、私も年齢を偽り、お兄さんやお姉さんが集うライブハウスに出かけたものでした。そ んな音楽環境のなかで聞いた「ヘッド・ハンターズ」は、非常にインパクトのある新たなジャズ・ファンクとして強く心に残っています。
その後、ジャズの名盤として有名な「処女航海
このころ伯父から聞いた話で、印象に残っている出来事がありました。広島でコンサートを行った際に、ピアノソロ「For The City Of Peace(平和の街のために)」を広島市に寄贈したことです。
ハンコックと衝撃的な再開を果たしたのは、音楽映画「ラウンド・ミッドナイト
私は多くの映画見てきましたが、エンディングロールが終わっても立つことが出来なかった唯一の作品として強く記憶に残っています。特にジャズの演奏を楽しんでおられる方は理解頂けるでしょう。
昨年「River: The Joni Letters
オフィシャルHP:http://www.herbiehancock.com/